湯気のまち 

 

ローカル線とバスを乗りついでたどりつく、山にかこまれた温泉地。

小さなまちに旅館とお土産屋、そば屋や喫茶店がくっついて並んでいる。

あちこちからおまんじゅうを蒸している湯気や温泉の白い湯気が立ちのぼり、

ほそい路地に入ると旅館の厨房からおいしそうな料理の匂いがただよってくる。

私の実家はそこで鮮魚店を営んでいる。高校をでて家業に入った父は四代目。

朝早くからお店で働く両親たちの声、お客さんが石畳を歩くカラコロという

下駄の音で目が覚める。こんな風にして一日がはじまる。

 

昔から両親たちの働いている様子を見るのが好きで、居間についている

小さな窓からこっそりのぞいたり、お店に行っては飽きずに眺めていた。

たいてい「しりとり」なんかして話し相手になってもらっていたけど、たまに

おやつを配ったり、お茶を注いだりすると役に立っているようでうれしかった。

一年でもっとも忙しくなる大みそかは私たち兄弟も手伝って家族みんなで働いた。

 

夕方ようやくすべての仕事を終えて、今年もありがとうございましたとそろって

神棚に手を合わせ、紅白を見ながらいつもよりごちそうが並んだ食卓を囲む。

くたびれているけどほっとひと息、まるで一年の打ち上げみたいな特別な夜。

除夜の鐘が聞こえはじめたら、コートを着込んで坂の上にある神社に初詣へ。

雪の多い年は歩いて行くのが大変だけど、そのあとに立ち寄るお寺で振る舞われる

あたたかい甘酒やとん汁を楽しみに、よっこらしょ…とこたつから抜け出す。

「おめでとうございます」すれ違う近所の人たちと新年のあいさつを交わし、

きりっと冷たい空気にまた新しい一年がはじまると身がひきしまる。

わが家の大みそかはいつもだいたいこんな感じだ。

 

親の働いている姿を見られることはとても貴重なことだなぁと思う。

お店は今も続いているけれど「いつまで営業するかはわからない」と父は言って

いて、閉店するかもしれないその日を想像しただけでしんみりとさみしくなる。

子供の頃から生活のなかに当たり前にあった愛おしい光景を少しでも残して

おきたくて夏と冬、帰省するたびに撮影している。

 

 

 

 

ポートフォリオレビュー

 

恵比寿の「めぐたま食堂」で行われたポートフォリオレビューに参加してきた。

こちらのお店は5000冊ほどある写真集が自由に閲覧できるので恵比寿に来ると

たびたび訪れている。ポートフォリオレビューでは写真評論家の飯沢耕太郎さん

にブックをみてもらえるというかなり貴重な機会だ。気合が入る。

今回は参加者7名と見学の方が2名、中には関西から来たという方もいた。

私も含めて、わりと年齢層が高めだったので落ちついた雰囲気の中ではじまった。

朝の9時30分からなので久しぶりに学校で授業をうけているみたいで背筋がのびる。

 

1人ずつ順番に作品を広げて飯沢さんから質問を受けたり、アドバイスをもらう。

モノクロやトーンを抑えめにしたどこかミステリアスな作品の方が多かった。

他の人の講評中もタイトルのつけ方や、写真を並べる順番など参考になることを

必死にメモをとりまくった。(勉強になる〜!)と心の中で思う。

ある女性のとき、本人は選ばなかったけどたまたま予備として持ってきていた中に

とてもいい写真があって、これは入れるべきだよ!と飯沢さんが力強く言っていた。

なるほど、自分のセレクト外にいいものがあったりするんだ。

 

私は新しくまとめた家族の写真を持っていった。

長野にある実家を夏と冬に撮影したもので、働く両親の姿や町の風景などを

分厚くてレトロな表紙のアルバムにL版のプリントで100枚ほど貼った。

子供の時に親がつくってくれたような、実家感あふれるアルバムである。

20年ほどちまちまと撮っているので枚数はあるものの、どこまで私生活をいれるか、

見せ方などで迷っていた。ひととおりブックを見終わった飯沢さんからのアドバイスは

「現代美術寄りにしてみたら?」私「!!」自分では思いつかない発想におどろいた。

この素朴な写真を…?と同時に新しいイメージも広がった。や、やってみよう。

 

飯沢さんは「未完成のものにヒントになるようなアドバイスができたら」と

言っていたので作品をつくっている人は気軽な気持ちで参加してみたらいいと思う。

レビューをきっかけに作品の方向性がガラッと変わるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

つまるところ、愛

 

なぜフィルムで撮っているのか?と聞かれることがある。

 

私が写真を撮りはじめた頃はほとんどがフィルムで初めて手にしたカメラは

「写ルンです」だった。中学校の友達を撮っては、いとこのお姉さんが働く

写真店に持っていく。できあがるまでの数日、楽しみでそわそわ待っていた。

ほかの親戚も写真館をしていたり、写真を撮るのが好きなおじさんが多いから

もしかしたらそーゆう家系なのかもしれない。

 

35ミリのネガを手にとって光に透かしてみるとちいさな一コマに大切な

ひとや風景、思い出がちんまりとおさまっていてそれがとっても愛おしい。

デジタルみたいに撮影してすぐに確認できないけれど、現像を待っている

そのゆるやかな時間も自分にとっては必要な気がしている。

 

暗室でプリントするのが好きというのもある。

暗い部屋のなか、たしかこの辺にあったはずと手探りで作業をすすめる。

ピントを合わせて慎重に印画紙をセットしたら、息を整えてからそっと

露光のボタンを押す。それはまるで祈りやおまじないのようだ。

きっと、プリントに撮ったときの気持ちまで焼きこんでいる。

 

フィルムで撮る理由。それはつまるところ、愛なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

佐渡の姉さん

 

佐渡の南のはしっこ、小木にあるヒガナさんとの出会いは1年前の初夏。

新潟市の本屋さんで佐渡の写真展をすることになり、何か島の物を一緒に

販売できたらと探していたとき。インターネットでお店のことを知って

焼菓子が大好きな私は、はりきって小木を訪れたのだった。

 

お店は港のすぐそばに立つ白い一軒家。

中に入るとアンティークのガラス棚にクッキーやマフィンが並んでいる。

栄養士で、マクロビオティックの勉強をした店主 長谷川さんのつくるお菓子は

卵やバターを使っていない。季節ごとに佐渡でとれた果物などが入ったりする。

派手なルックスではないけれど、かみしめるほどにしみじみとおいしい。

目をつむって味わいたくなるスルメのようなクッキー、そんな印象だ。

 

写真展がはじまるとヒガナさんのクッキーはあっというまに完売してしまい、

追加してもらうほど大人気だった。それ以来、困ったことがあると相談に

のってくれるかっこいい長谷川さんのことを、佐渡の姉さんと呼んでいる。

 

この夏も、小木で開催されたお祭りに合わせてヒガナさんに行ってきた。

開店すると店内は人であふれ、クッキーやマフィンがすごい勢いで売れていく。

観光客の人が帰りお店にゆったりした空気が流れはじめたころ、近所の人たちが

ぱらぱらとお茶を飲みにやって来た。さざえや、いももちなど差し入れも一緒に届く。

「今日は何にする?」常連さんとそんな気軽なやりとりが交わされるのを

うらやましく聞いていた。お祭りの期間中はたくさん人が来てにぎやかだけど、

いつもはこんな感じなんだろうなぁ、とのんびりした島の日々を想った。

カフェであり、店主との会話を楽しんだり、情報を交換する大切な場所。

 

今日もきっと長谷川さんは島のはしっこでクッキーを焼いている。

 

 

 

 

 

 

海辺の缶ビール

 

佐渡の岩首に興味を持ったきっかけはパンフレットでみた棚田だった。

岩に首?なんだかこわそうな名前だけど、一度行って実際に見てみたい。

 

両津からバスで海沿いを走ること1時間。

集落の入口に食料品や雑貨を売るお店が2軒、小さな郵便局と階段の上にある神社、

廃校になった小学校を利用した談義所。ぱっと見たところ、あるのはそのくらいだ。

「何しにここに来たの?」と、一緒にバスを降りたおじいさんに聞かれた。

棚田を見るためにと伝えると、歩くのは大変だから車で案内してくれると言う。

農具のつまれた軽トラの荷台に乗り込み、ガタゴトと細くて急な山道をのぼる。

そうして、たどり着いた棚田は言葉にならないくらいきれいだった。

 

真夏の昼間、外を歩いている人はほとんどいない。

聞こえるのは波の音とトンビの鳴き声と、セミの大合唱だけ。

ちょっと休憩したくても食堂や喫茶店はない、あるのは圧倒的な山と海。

なんていうか、島の持っている本来の力強さをみせつけられている感じなのだ。

海辺を散歩していたらさっきのおじいさんがやってきて、手に持っていた

缶ビールを「ほれ」と1本くれた。じりじりとした陽射しから身を守るように

日陰をみつけて座り、冷えたビールを飲みながら東京で働いていたことや

、故郷の佐渡に戻ってきた理由、岩首のことなどポツポツと話してくれた。

飲み終わると「さぁ、今日の夕飯のおかずをとりに船をだすか」と帰っていった。

昔話みたい、とすっかり酔いがまわった私はおじいさんのうしろ姿を見送った。

 

完全に岩首にハマってしまった。何もないところがいい。

佐渡に行ったら、たびたび訪れる大好きな場所のひとつになった。

行く時には必ずおにぎりやパンを持っていくのを忘れずに。