いくつか写真関係の仕事をしたうちのひとつに、まちの写真館での

アルバイトがある。その当時はフィルムカメラで撮影していたので、

スタジオアシスタントだった私の主な仕事は中判カメラ用にフィルムを

詰めたり、ライトを動かして調整したり、着物がきれいに写るように

整えたりすることだった。

七五三や成人式、お見合い写真やプロフィール用の写真などスタジオでは

毎日さまざまな撮影が行われていた。

ウエディングドレス姿の花嫁さんにうっとり見惚れたり、成人式を迎えた

若者たちの初々しく、輝きに満ちたまなざしの美しさにハッとした。

七五三で慣れない着物をきた小さな子供たちがまっすぐ立てずに、千歳飴を

持ってゆらゆらと揺れている様子は、最高にかわいい。

ぐずって泣いている子供がいれば、カメラマンはスタジオに常備されている

ぬいぐるみをわしっとつかみ、全身全霊で笑わせようとする。

きっと何度も見返されるであろう記念写真。すべてはいい表情を引き出すため。

そのプロ根性をみるたびに、わが上司ほんとすごいな…と尊敬する。

 

なかでも、私がとくに好きだったのは家族写真だ。

みんなでおめかしして多い時にはおじいちゃん、おばあちゃんなど三世代

でわいわいとご来店されることもあった。

バランスが良くなるように並びを決めて、カメラマンがポーズをつける。

さぁ、奥さまの肩に手を置いてとか、もっと寄り添ってとか、腕を組んでとか

つぎつぎに出される指示に「恥ずかしい〜」「こんな姿勢したことない!」

と大盛り上がりなのだ。見ているこちらまで楽しくなってニコニコになる。

いろんな人たちの人生の大切な節目に立ち合わせてもらい、幸せや感動を

おすそ分けしてもらっているような仕事だな。

そんなふうに賑やかに撮影された写真は、ポーズもライティングもピシッと

決まっていて毎回すばらしい仕上がりなのだった。

 

ケータイ電話についているカメラの画質もよくなって手軽にキレイな写真が撮れる

この時代。わざわざ写真館に行くのはちょっと手間だし、緊張もするだろうけど、

たまにはこんなイベントがあってもいいんじゃないか。

撮影しているときはもちろん、家で準備をしている時間も、行き帰りの道も

交わした会話も含めて、まるっと思い出の一部になるのだと思う。

 

ついに…ついにデジタルカメラを買った。

 

20年以上フィルムを愛用しているけど、去年ここぞという大事な

場面で撮影に失敗することが続いて落ちこんでいた。

コンパクトカメラのストロボが故障していて光量が不足しアンダーに

なっていたり、使い慣れていないカメラのおまかせモードで撮ったら

被写体じゃない方に露出が合っていたり。現像したときのショックは大きい。

自分の作品だから支障がないといえばそうなんだけど、その大切な瞬間は

2度とこないし、ほんとに泣きたくなる。

これはどうにかしなければ、と重い腰をあげてデジタルカメラについて調べよう

と図書館で本を借りて、家電量販店に通った。

初めてだから値段もそこそこで気軽に使えるのがいい。

コンパクトで、ちょうど良さそうなカメラが見つかった。

 

長い間、デジタルカメラに抵抗があった。

撮ってもフィルムに残らないなんて自分は虚しくならないだろうか?

令和になった今もなお、データというものを信用していないのだ。

でも、これ以上せまい家の収納をネガとプリントに占領されるのもどうかと思う。

最近はフィルムの種類もへってきたし…いろいろな気持ちがせめぎ合う。

とりあえずは、フィルムカメラのサブ的な感じで様子をみようかな。

機能がありすぎて全然使いこなせていなかったフィルムカメラを中古屋さんに

買い取ってもらい、新しいデジタルカメラを購入した。

買ったことで満足してしまい、開けてない箱を遠まきに眺めている。

まずは箱を開けて説明書を取り出すところからだ。SDカードも買わないと。

いったいいつになったらこのカメラの出番がくるのか。

 

 

東京都写真美術館で開催されていた写真新世紀展2019が終わって、

いつもの生活に戻った。寂しくもあり、ほっとしてる自分もいる。

ある意味、お祭りのような浮き足立った日々でそわそわしていたけど、

はじまってみれば、あっという間の1ヶ月だった。

 

7月に受賞の連絡をいただき、うれしくて家で小躍りした日が懐かしい。

それから展示する写真のセレクトや、説明する文章を書いたり、ブック

の制作などを少しずつ進めていった。

佳作でも準備でいっぱいいっぱいだったから、優秀賞の方々はさぞ大変

だったことだろうと思う。早く作品をみてもらいたい!というはやる

気持ちをおさえきれず、10月までがとても長く感じた。

 

初日を迎えたときは、ようやく始まった…と安堵したのを覚えている。

ほとんど会場にいないから、写真展の様子がまったくわからなくて

(あれ?本当にやってる?)と何回もなったけど、たまに会場に行くと

置いてあるポートフォリオのヨレヨレ具合で、作品をみてもらえている

ことがわかった。さりげなく整えて、最終日までよろしくねと撫でて帰る。

見てくれた友人から、感想を長いメールでもらったのもうれしかった。

専門学校時代の友人は、私がまだ公募展に応募していたことに驚いていたけど

写真新世紀は年齢制限がないから、いくつになってもチャレンジできる。

これは作品をつくる時のモチベーションにもなるし、ほんとにありがたい(涙)

他の受賞者の方の展示も、写真だけじゃなく映像もあったり、展示方法も

工夫されていて、とても参考になった。

 

今年は、初めてグランプリを決める公開審査会にも参加した。

7人の優秀賞の方のプレゼンテーションを聞いていたら、作品への想い、

写真に対する熱量が伝わってきて何回も泣きそうになってしまった。

正直、こんなに感動すると思っていなかった…行ってよかった。

みんなそれぞれのやり方で、真剣に写真と向き合っているんだなぁ。

グランプリは中村智道さんに決定した。映像作家でもある中村さんが次に

どんな作品をつくるのか、来年の個展が楽しみだ。

 

今回、写真新世紀展2019に作家として参加させていただいたことは

これから作品制作をしていくうえで、とても励みになった。

「イスノキモチ」は何枚か追加して再編集して、手にとってもらえる

本という形にしたいと思う。

 

この作品を佳作に選んでくださった写真家の安村崇さん、お世話になった

キヤノン写真新世紀事務局の方々、会場で作品をみてくださったみなさま、

本当にどうもありがとうございました!

 

 

 

 

「 無意識 = 自分が自分の行為に気がつかないこと 」

旅先や日々のなかで、無意識のうちに撮っているものがある。

どうやらその被写体に出会うと、撮ろうと思っていないのに反射的に

カメラを向けているらしい。もちろん覚えていない。

 

雑誌をみていたら、興味深い記事をみつけた。

アメリカのニューカラーを代表する写真家 ジョエル・マイロウィッツ

は広告用の写真をセレクトするため、過去に各地で撮りためた大量の

写真から気になるものを抜き出していたとき、どの写真にも花が写り

込んでいることに気づいた。

「無意識にたまたま写った花こそが気になった数枚をつなぐ軸だった

んだ。まさかこの自分が花をテーマに撮るとは夢にも思わなかったが、

実はとっくに撮り続けていたのだ。」とインタビューで語っている。

それからは意識的に撮りはじめ、路上にあふれる花や庭園、花柄の服

などを撮影した写真集「Wild Flowers」を発表した。

 

何年か前に佐渡島の写真展をしたとき、会場に置いてあった感想ノートに

「展示してあったイスの写真が好きです」と書いてくれた方がいて、その

言葉をきっかけに家にあるネガを見直してみたら、イスを撮ったコマが

たくさんでてきてびっくりした。いつの間に?!と思う。

自分では気づかないうちに惹かれていて、無意識に撮っていたのだ。

発掘したそれらをまとめてできたのが「イスノキモチ」という作品だ。

イス以外にも、理容店、猫、花、3人組の後ろ姿なんてのもある。

本当にふしぎだ…。他の人にもこーゆうのあるんだろうか?

 

ヨドバシカメラにフィルムを買いに行ったらいつも使っているフィルム

が棚に見当たらない。品切れ中かな?と思って店員さんに聞いたら

「生産終了しましたよ」さらっと言われた。

あまりのショックにその場に立ち尽くし、結局なにも買わずに店をでた。

がっくりと肩をおとして夜の街をさまよいながら、そろそろデジタルに

するべきなのか、と悲しい気持ちでいっぱいだった。

 

わたしがフィルムを好きな理由はなんだろう?

 

写真のセレクト中に、たしかあそこで撮ったあのコマがあったはずと

ふと思い出して、おぼろげな記憶をたよりにネガを探しはじめる。

20年分のネガはけっこうな本数で、一日かけての捜索はほぼ半泣き。

気に入ったコマはきちんとアルバムに入れているけど、それ以外は

整理せずにざっくりしまってあるからだ自分め、と毎回反省はする。

 

昔のネガを引っぱりだして見ていると、思わぬ発見をすることもある。

撮ったときはピンとこなくてプリントもせずにすっかり忘れていたけど、

(あれっ?これ…すごくいいのでは?!)ということがよくあるのだ。

寝かせておいたから熟成されたのか、いいと思うポイントがかわったのか。

そんなときはまるで山の中からお宝を見つけたかのように一人で大興奮。

フィルムはお金がかかるし、ネガやプリントを保管するスペースも必要だ

けど、こーゆうことがあるからおもしろくてやめられない。

 

ある写真家の人がインタビューで「フィルムは消せないのがいい」と

言っているのを読んで、たしかにと共感した。

デジタルで撮影していたらたぶん消してしまっていたであろう写真が

何年かたって、急に輝いてみえることもある。

 

デジカメを買おうかとちょっと考えたりもしたけど、機械が苦手だし

まだまだフィルムで撮り続けたいと願う今日この頃だ。

 

六本木というと、なんとなく大人の街というイメージで近寄りがたい。

それまで数えるほどしか行ったことがなかったけれど、私にとって特別な

場所になったのは2014年の秋のことだった。

 

富士フイルム主催で新しくはじまった公募展「写真家たちの新しい物語」で、

夏の佐渡島を撮った作品を選んでいただき、東京ミッドタウンの中にある

富士フイルムフォトサロンで個展を開催させてもらえることになったのだ。

10年以上かけてコツコツと撮影していた写真がようやく見てもらえるという

おおきな喜びとともに、得体のしれないプレッシャーを勝手に感じていた。

初めての個展を六本木で、しかも第1回目が自分って…大丈夫だろうか?

小心者の私。めずらしく眠れない夜が続いた。

 

そんな弱気なことを言ってる間にも、DM制作や展示するプリントの色チェック、

会場で配るチラシ作り、やることは山積みで準備はどんどん進んでいく。

富士フイルムの担当の方、恵比寿にあるプロラボ TCKの方々、友人などに

助けられながら、さわやかな秋晴れの日、ついに初めての個展がはじまった。

 

いつも小さなファイルで見ていた写真が大きなサイズに引き伸ばされライトを

浴びてどこか誇らしげに並んでいるようで、胸がいっぱいになった。

ミッドタウンという場所のおかげもあり、会場にはたくさんの方が来てくれた。

自分の写真を知らない人たちが見てくれているという状況がなぜか恥ずかしくて、

会場にある小さな受付スペースに、できるだけ気配を消して身をひそめていた。

お昼時には近くのサラリーマンらしい集団が休憩のついでにのぞいてくれたり、

DMを置かせてもらったカフェの女の子、専門学校時代の友人、地元の長野から

家族や友人、仕事仲間や、佐渡に住む友人もわざわざ見に来てくれた。

 

写真を見て笑っていたり、つっこんでいる様子を陰からこっそり見守りながら

(こーゆう風に楽しんでもらいたくて私は写真を撮っているんだなぁ)とあらためて

思い、しみじみとうれしかった。佐渡の撮影をはじめた頃から、これまでの日々を

振りかえると、ありがとうと伝えたい人たちの顔が次々に浮かんだ。

 

長いようで短かった7日間。

最終日の閉場時間になると設営会社のプロの手によって展示してあった50枚ほど

の写真はあっという間に外され、何ごともなかったようにもとどおり入っていた箱に

ぴったりとおさまった。今までのは夢だったのかと思うほど、あまりに一瞬の出来事。

余韻にひたる間もなく荷物を両手に抱えて外にでて、ぼんやりと立ち尽くした。

終わったんだ…六本木の風に吹かれて、天高くそびえるミッドタウンを見上げた。

そして手伝ってくれた友人と姉と、シシリアでささやかな打ち上げをした。

 

写真展の準備から本番まで、楽しくも嵐のような怒涛の日々が過ぎて、

終わってホッとしたのか、そのあと高熱がでて2日間寝込んだのでした。

 

 

 富士フイルムフォトサロンHP   https://www.fujifilm.co.jp/photosalon/

 

 

 

 

実を言うと、押しかけアシスタントをさせてもらったのは1回だけじゃない。

 

写真の専門学校時代にライブカメラマンを目指していた。

大好きな音楽に身をゆだねながらシャッターを押すなんて最高じゃないか。

自由課題のテーマを「ライブ」にして、都内のライブハウスに通っては撮影

する日々。イベントで演奏してるのは知らないバンドばかりだったけど、

小さなライブハウスにはいろんな人の夢が詰まっているようで楽しかった。

 

当時、愛読していた音楽雑誌に尊敬してやまないライブカメラマンの人がいた。

構図とかピントがどうこうとかを越えた写真で、お客さんの興奮やその場の

空気感が写っていて、ぱっとひと目見ただけでその人が撮ったとわかる。

音が聴こえてくるようなライブ写真で、かっこいいなぁ〜としびれてしまう。

どうにか弟子にしてもらえないだろうか…考えに考えたすえアシスタントの

募集もしていないのに出版社に電話をかけたのだった。

若いってなんて怖いもの知らずなんだろう、勢いだけがすべての20代前半。

 

一度会ってもらえることになり、渋谷のカフェでブックを見てもらった。

憧れのカメラマンに写真をみてもらえることに緊張しまくりの私。

「う〜ん…いいんじゃない?」持参したライブ写真にはほぼノーコメントで、

憧れのカメラマンは目の前でおいしそうにフルーツパフェを頬張っている。

普段アシスタントは必要ないけど、ちょうど夏フェスシーズンで人手がいる

ということで、間近にせまったフジロックに同行させてもらえることになった!

人生に運というものがあるならばすべて使い果たしたな、と思うほどの幸運だ。

 

フジロックは、新潟の雄大な山の中にいくつかのステージをつくって行われる

日本を代表する音楽フェスで、海外からも有名なミュージシャンがたくさん来る。

私のメインの仕事は、入り口から離れた場所にあるステージまで機材を運ぶこと。

山道を予備のカメラ、レンズ、フィルムなどが入ったずっしりと重いバックを

師匠のあとについて一緒に運んだ。楽しそうにはしゃぐ人たちとすれ違う。

ステージ前に到着すると、日焼けしたガテン系の男性カメラマンが何人かいた。

日頃の運動不足がたたってか、機材を背負って歩いただけでへろへろな自分が

今からこの場所に挑戦するのは無理なんじゃ…と初日で心が折れてしまった。

 

ライブがはじまると特に手伝えることがなくて「見てていいよ」という師匠の

優しい言葉に甘えて、お客さんに交じって音楽をめいっぱい堪能した夏の3日間。

ステージ前でロックに撮影する師匠の姿を、遠くから見ていた。かっこよかった。

これが人生で初めてのアシスタント。若かったとはいえ、いま思えば世間知らず

で失礼なことばかりだったと恥ずかしくなる。

きっと、役にたたないひよっこアシスタントだったに違いない。

でも、ここには書ききれないほど楽しくて忘れられない貴重な経験だった。

 

憧れのフジロックに連れていってくれた師匠に感謝です。

 

 

 

 

 

 

20代も後半に突入した私はモーレツに焦っていた。

写真の専門学校を卒業して何年かたち、アルバイトをしながらぼんやりと

写真家になりたいと思ってはいるものの、どうしたらいいかわからなかった。

いろいろな人の経歴をみるとほとんどがアシスタントを経てから独立している。

よし、まずはスタジオで働こう、と何社か応募したけどひとつも受からない。

体育会系のきびしいスタジオではまだ面接だというのに声が小さい、もっと

ハキハキ!と注意されて(この業界、向いていないのかも…)とへこむばかり。

フリーカメラマンのアシスタントの条件は車の免許を持っていてスタジオ

経験者というものが多く、どちらもない私は悶々とした日々を送っていた。

 

コマーシャル・フォトという雑誌で年に一度フォトグラファーの特集があり、

たくさんの写真家の作品と連絡先がのっていて、毎年発売を楽しみにしていた。

同年代ですでに活躍している人たちもいる。うらやましい気持ちでめくっていた

その中にカメラマンのМさんをみつけた。お花や、インテリア、京都の写真が

掲載されていて、どの写真もかわいらしくとても好きなテイストだった。

八方ふさがりになっていた私は「アシスタントにしてもらえませんか?」

と募集もしていないのに、いきなり電話をかけたのだった。

 

突然あらわれた弟子になりたいというなぞの人物におどろいていたけれど、

とりあえずお互いの作品を持って一度会いましょうと言ってもらい、暗室に

通ってプリントした渾身のブックと共に待ち合わせ場所の原宿へ向かった。

喫茶店でМさんが見せてくれた仕事の写真やプライベートの作品はどれも

ステキで、アシスタントになって現場をみたい、一緒に働きたいと思った。

「これは自然光にみえるけど、スタジオの中で光をつくって撮影してるんだ」

ずっと知りたかったこと、学校の授業より何倍もおもしろい雑誌の世界に

興奮した私は質問ばかりしていたけど、ひとつずつ丁寧に答えてくれた。

その短い時間で、今まで目の前に重くかかっていた幕が一気にひらいて光が

ぱーっとさしたようだった。未来がほんの少しだけみえた気がした。

 

「まずは見学からはじめてみる?」帰り際に思ってもみなかった言葉が!

「履歴書を持ってきます!」と言うと「名前と連絡先を書いてくれればいいよ」

とМさんは白い紙を指さすのだった。初対面なのに、なんておおらかな。

そして自分のことを信用してもらえたのかなと言ううれしさと、これから

はじまろうとしている新しい展開に、胸がいっぱいになったまま家路についた。

あとで聞いたところによると、同じ時期に男の子からもメールでアシスタント

の問い合わせがあったそうだ。あぁ、いきなり電話してよかった。

 

こうして念願だったアシスタント生活がようやくはじまった。

 

 

 

 

 

恵比寿の「めぐたま食堂」で行われたポートフォリオレビューに参加してきた。

こちらのお店は5000冊ほどある写真集が自由に閲覧できるので恵比寿に来ると

たびたび訪れている。ポートフォリオレビューでは写真評論家の飯沢耕太郎さん

にブックをみてもらえるというかなり貴重な機会だ。気合が入る。

今回は参加者7名と見学の方が2名、中には関西から来たという方もいた。

私も含めて、わりと年齢層が高めだったので落ちついた雰囲気の中ではじまった。

朝の9時30分からなので久しぶりに学校で授業をうけているみたいで背筋がのびる。

 

1人ずつ順番に作品を広げて飯沢さんから質問を受けたり、アドバイスをもらう。

モノクロやトーンを抑えめにしたどこかミステリアスな作品の方が多かった。

他の人の講評中もタイトルのつけ方や、写真を並べる順番など参考になることを

必死にメモをとりまくった。(勉強になる〜!)と心の中で思う。

ある女性のとき、本人は選ばなかったけどたまたま予備として持ってきていた中に

とてもいい写真があって、これは入れるべきだよ!と飯沢さんが力強く言っていた。

なるほど、自分のセレクト外にいいものがあったりするんだ。

 

私は新しくまとめた家族の写真を持っていった。

長野にある実家を夏と冬に撮影したもので、働く両親の姿や町の風景などを

分厚くてレトロな表紙のアルバムにL版のプリントで100枚ほど貼った。

子供の時に親がつくってくれたような、実家感あふれるアルバムである。

20年ほどちまちまと撮っているので枚数はあるものの、どこまで私生活をいれるか、

見せ方などで迷っていた。ひととおりブックを見終わった飯沢さんからのアドバイスは

「現代美術寄りにしてみたら?」私「!!」自分では思いつかない発想におどろいた。

この素朴な写真を…?と同時に新しいイメージも広がった。や、やってみよう。

 

飯沢さんは「未完成のものにヒントになるようなアドバイスができたら」と

言っていたので作品をつくっている人は気軽な気持ちで参加してみたらいいと思う。

レビューをきっかけに作品の方向性がガラッと変わるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜフィルムで撮っているのか?と聞かれることがある。

 

私が写真を撮りはじめた頃はほとんどがフィルムで初めて手にしたカメラは

「写ルンです」だった。中学校の友達を撮っては、いとこのお姉さんが働く

写真店に持っていく。できあがるまでの数日、楽しみでそわそわ待っていた。

ほかの親戚も写真館をしていたり、写真を撮るのが好きなおじさんが多いから

もしかしたらそーゆう家系なのかもしれない。

 

35ミリのネガを手にとって光に透かしてみるとちいさな一コマに大切な

ひとや風景、思い出がちんまりとおさまっていてそれがとっても愛おしい。

デジタルみたいに撮影してすぐに確認できないけれど、現像を待っている

そのゆるやかな時間も自分にとっては必要な気がしている。

 

暗室でプリントするのが好きというのもある。

暗い部屋のなか、たしかこの辺にあったはずと手探りで作業をすすめる。

ピントを合わせて慎重に印画紙をセットしたら、息を整えてからそっと

露光のボタンを押す。それはまるで祈りやおまじないのようだ。

きっと、プリントに撮ったときの気持ちまで焼きこんでいる。

 

フィルムで撮る理由。それはつまるところ、愛なのだと思う。

 

 

 

 

 

 


Calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM